LOGIN弥生はもちろん、彼の考えなど知る由もなく、使いやすそうな優しい色をいくつか選んだ。会計に向かおうとしたとき、瑛介がさらに何本も手に取っていることに気づいた。その色はどれも強めで、ピンク系が多かった。彼女は思わず言葉を失い、彼に問いかけた。「なんでこんなもの持っているの?」瑛介は気だるそうに答えた。「君のために買うんだよ」そのまま彼は弥生を連れてレジへ向かった。隣の女性たちは、瑛介が弥生に口紅を山ほど買っているのを見て、思わず羨ましそうに声を上げた。その声を聞き、弥生はつい口元が緩んでしまった。やっぱり女の子って可愛い。他人の恋を祝福するのが好きで、みんなが幸せな恋を見つけられたらいいと願っている。帰り道、弥生は思わず諭すように言った。「あなたが選んだピンク、何本かは正直あまり私に合わないと思うけど」「そう?」瑛介はよく分からないという様子で首をかしげた。「なんで?君の唇の色に近いんじゃない?」「唇の色に近いのは最初の一本だけ。あなたが選んだのは違うわ」彼が濃い目のピンクまで手に取っていたことを弥生は気づいていた。あの色はほとんどの人が似合わないことで知られている。評判を知っていた弥生は、今まで一度も買ったことがなかった。普段の服装もそこまで鮮やかではない。瑛介の声が少し低くなった。「そうなんだ。じゃあ、僕が選んだ中に合うのはなかった?」弥生は、濃い目のピンクの一本について説明した。瑛介は興味津々に聞いた。「どれ?」その問いに、弥生は一瞬言葉に詰まった。「どれか分からないのに、そんなにワクワクしながら取ってたの?」やっぱり男だ。弥生は袋の中からその一本を取り出して、彼に見せた。もう買ってしまったものなので、瑛介はそのまま包装を開けた。色を見た瞬間、彼は一度目を見張り、そして低く笑った。「パッケージだけだと分からなかったけど、実物はこんな色なんだ」そのピンクの口紅を見て、弥生は完全に言葉を失った。さっきはざっと包装を見ただけで、淡いピンクだと思っていたのに、開けてみたら細かいラメ入りだったのだ。この色を唇に塗ったら......弥生は唇をきゅっと結び、想像するのも少し怖くなった。「この色、塗ったらいけないと思う」この口
弥生は色を選びながら、小さな声で問いかけた。「じゃあ、あなたはその人と友だち追加して、動画を送ってもらったら、すぐ削除したってこと?」瑛介は何のためらいもなく頷いた。「当然だろ。ほかに何するんだ?残して雑談でもするとでも?嫉妬で怒ったのか?」自分が怒ったことを持ち出され、弥生は少し居心地が悪くなった。「それは......もう怒ってないのに、なんでそんなに蒸し返すの?」「蒸し返すくらいいいだろ。弥生が僕のことで嫉妬して怒ったなんて、滅多にないんだから。何度か味わわせてもらわないと」弥生はため息をついた。「でも、すぐ削除しちゃうのって、ちょっと冷たくない?」「弥生、それはさすがに調子良すぎないか?削除しなかったら、さっき僕のスマホ確認したとき、もっと怒ってたんじゃないか?」そう言い切ると、瑛介はそれ以上質問させないように彼女の肩を軽く叩いた。「安心しろ。追加するときに、結婚してるってちゃんと言った。弥生が嫌がるかもしれないから、動画を送ってもらうだけ、終わったら削除するって最初から伝えてある」じゃあ、さっき二人が何か話していたのは、その説明だったのか。弥生はぱちぱちと瞬きをした。「......その動画は?」「見たい?」瑛介はスマホのアルバムを開き、保存していた動画を再生して見せた。少し距離はあるものの、二人の表情ははっきり分かる。そして何より、映像の中の瑛介が自分を見つめる眼差しが、驚くほど優しい。普段一緒にいるときは気づかなかったが、第三者のカメラ越しに見ると、彼の視線がこれほどまでに甘いものだとは。弥生は、普段ドラマを見るタイプではないが、ネットで恋愛ドラマの名場面を目にすることはある。今の映像は、そうしたドラマのワンシーンと重なって見えた。「そうだ、動画を送ってきたあと、その子が一つ聞いてきた」「何て?」「この動画、ネットに上げてもいいかって」弥生は唇をきゅっと結んだ。「......あなた、許可したの?」「どう思う?許可するべきだったと思う?」弥生は眉を少し上げる。「どっちでもいいんじゃない?」ただの仲良し動画だ。弥生自身は、ネットに出回るかどうかをそこまで気にしていなかった。そう答えたあと、瑛介が黙ったままなのが気になり、弥生は首を傾げ
まだ事情がはっきりしていなかったため、弥生は彼に頬をつままれても素直に受ける気になれず、ぱしっとその手を叩き落とした。「触らないで」ところが瑛介は手を引くどころか、身をかがめて大きな手を彼女のうなじに添え、低い声で説明した。「分かった分かった。確かに女の子の連絡先は追加した。でも、すぐに削除した」「どうして、追加してから削除したの?」「追加しないと、動画を送ってもらえないだろ」「......動画?」「分かってるだろ?」その瞬間、弥生はようやく気づいた。彼が言っている動画とは、あの女の子がさっき盗撮していた、瑛介が自分にキスをしたあの映像のことだ。当時、二人が連絡先を交換しているのを見て、そこまで思い至らず、てっきり。つまり彼は、動画を受け取るために連絡先を交換しただけだったのだ。自分がさっきまで彼に冷たい態度を取っていたことを思い出し、弥生は一気に気まずくなった。「......僕が、他の女の人と連絡先交換したと思った?」瑛介は彼女の鼻先をちょんとつついた。「あなたのためなら命だって差し出す僕が?わざわざ他の女の子と連絡先交換して、面倒を増やすと思う?」その言葉は、他人が言えば軽く聞き流しただろうし、昔の弥生なら甘い言葉として受け取っただけだったかもしれない。でも、瑛介が実際に危険を顧みず自分を助けてくれたことを知っている今、その言葉は冗談ではないと分かる。彼は、本当にそうする人だ。反論できるはずもなく、むしろ過去のことを思い出して胸がじんとした。「......ごめんなさい」弥生は小さく呟いた。「私、勘違いしてた」瑛介は、彼女が嫉妬しているのが可愛くて仕方なかっただけだ。彼にとって、嫉妬は大切にされている証であり、それが嬉しかった。だから、弥生が謝るとは思っていなかった。突然の「ごめんなさい」に、瑛介は一瞬で慌てた。「ばかだな。弥生が嫉妬するのは僕は嬉しいんだよ。僕を気にしてくれてるってことなんだから。謝る必要なんてない」弥生はぱちぱちと瞬きをした。「でも、私が誤解して、あなたに当たったのは事実だし。謝るのは普通でしょ」「いらない」瑛介はきっぱりと言った。「僕に対しては、何をしてもいい。どんな態度でもいい。僕に申し訳ないなんて、思わなくていい
「昨日あまり眠れなかった?それで体調がよくないとか?それとも、口紅選びで歩き疲れた?じゃあ、ここにある色、全部買おうか。もう選ばなくていいから、戻って休もう」「弥生?」弥生が口紅を見ているあいだ、瑛介はずっとそばに張り付くようにして、あれこれと問いかけ続けていた。そしてふと顔を上げると、目の前には心配そうに眉を寄せた瑛介の整った顔と、その真剣な眼差しがあった。弥生は思わず唇を結び、少し戸惑った。彼はとても慌てている。本当に、私が怒っていることを気にしてるみたい。......もしかして、私の勘違い?そう思いながらも、胸の奥に引っかかるものは消えない。弥生は一度深く息を吸い、瑛介を見上げて問いかけた。「......さっき、何をしてたの?」ようやく話しかけてもらえたことが嬉しかったのか、しばらく冷たくされていた瑛介は、すぐに身を乗り出してくる。「さっき?見てたろ?あの二人に......」説明し終える前に、弥生は白い手のひらを差し出した。「スマホ、貸して」その言葉を聞くなり、瑛介は迷いなく自分のスマートフォンを彼女の手のひらに置いた。画面を見ると、ロックがかかっている。弥生が何か言う前に、瑛介が続けた。「暗証番号は、君の誕生日」......誕生日?少し考えてから数字を入力すると、ロックはすぐに解除された。自分の誕生日がロック解除の番号だと知った瞬間、弥生の胸の中のざらつきが、少しだけ和らいだ。気持ちも、さっきほど尖ってはいない。弥生はすぐにメッセージアプリを開き、最近の連絡先を確認した。知らないアイコンがあるかと思ったが、一番上に固定されているのは自分で、その下も見覚えのある家族の連絡先ばかりだった。友だちの数自体も驚くほど少ない。トーク画面では分からず、弥生は鼻を少しすぼめて連絡先の一覧を開いた。だが、指を上下に動かしても、すぐに一番下まで行ってしまう。......何もない。スマホを受け取ってからずっと、瑛介は彼女のすぐ横に立ち、操作を覗いていた。何度もスクロールする弥生を見て、不思議そうに首を傾げた。「何を探してる?」「......さっき追加した友だち」弥生は深く考えず、素直に答えた。その瞬間、瑛介は一拍置いて目を瞬かせた。「.
その声を聞いた瞬間、弥生ははっとして、隣に立つ人物を見上げた。目に飛び込んできたのは、にこやかに笑っている瑛介だ。「待っててって言っただろ。どうして一人で行った?」弥生は唇を動かしかけたが、先ほど彼があの女の子と取った行動が脳裏をよぎり、胸の奥が理由もなくざわついた。結局、言いかけた言葉は飲み込み、瑛介を無視して店の奥へと歩いていった。瑛介は口元に笑みを浮かべたまま、彼女がその色を気に入ったのだと思い、手を伸ばして取ろうとした。だが、弥生は一瞥しただけで背を向けてしまった。しかも、どこか不機嫌そうだ。瑛介は一瞬動きを止め、彼女の背中を見つめて考え込んだ。......今の一言、何か気に障っただろうか?深く考える間もなく、彼はすぐに後を追った。「さっきの、見ないのか?色、きれいだと思うけど」追いかけてきたうえに、まだ口紅の話をするとは思わず、弥生は眉をわずかにひそめた。どうやら、「モテ色」というのも、あながち嘘ではないらしい。もっとも、万能ではないにせよ、一定の根拠はあるのだろう。少し考えてから、弥生は足を止めて尋ねた。「......あなた、好きなの?」瑛介は特に深く考えずに答えた。「好きだよ。前に、ほかの色は普段使いしにくいって言ってただろ?あの色なら自然だし、弥生の唇の色にも近い」そう言いながら、彼の視線は自然と下がり、弥生の唇に落ちた。少し前まで体調が万全でなかった頃は血色が薄かったが、最近は心も落ち着き、食事もきちんと取れている。そのおかげで、唇は柔らかな淡いピンク色を取り戻し、白い肌に映えていた。だが弥生は、彼のそんな考えなど知る由もない。胸に残るわだかまりのせいで、瑛介の「好きだ」という言葉を聞いた途端、つい刺のある返しをしてしまう。「好きなら、自分で買って使えば?」そう言い捨てると、また彼を無視して歩き出した。二度も無視されたことで、さすがの瑛介もようやく何かを察した。その場に立ち止まり、少し考えたあと、踵を返して先ほど弥生が見ていた口紅を手に取り、再び彼女を追いかけた。大きな歩幅で数歩進むと、すぐに追いつき、細く白い手首を掴んだ。「......怒ってる?なんで?」手首を握られ、弥生は眉を寄せた。「別に」口では否定しながらも、彼の
幸いなことに、さきほど瑛介が顔を下げてキスしたのは唇ではなく、口元だった。この程度なら、仮に動画が拡散されて誰かに見られても、そこまで恥ずかしいものではない。それに、さっきの行動は明らかにわざとだった。盗撮に気づいたうえで、あえて人前でいちゃついて見せたのだ。その意図を察して、弥生は呆れたように言った。「自分が芸能人だとでも思ってるの?見せつけたって、私たちただの一般人なんだから。仮にネットに載せられても、誰も見ないよ」だが瑛介はまったく気にしていない。「別にいい。誰も見なくても、僕が見てればそれで十分だ」そう言うと、弥生の腰に回していた手を離し、二人の女の子のほうへ歩いていった。「ここで待ってて」弥生はついて行こうとしたが、その一言で足を止めた。......まあいいか。わざわざ付いて行っても仕方ないし、正直もう歩くのも面倒だ。そう思って、その場に立ったまま様子を見守ることにした。女の子二人は、さっきまで嬉しそうにスマホを見ていたが、瑛介が近づいてくるのに気づくと、表情が一変し、反射的にスマホを背中に隠そうとした。だが数秒後、「それはかえって失礼かも」と思ったのか、瑛介が目の前に来ると、自分からスマホを差し出した。二人の顔には、しょんぼりした色が浮かんでいる。その様子を見て、弥生は首をかしげた。......見せつけたかったんじゃないの?それとも動画を消してもらうつもり?でも、それなら最初から撮らせなければよかったはずだ。よく分からない。距離があるため、会話の内容までは聞こえない。ただ、瑛介の薄い唇が動き、何か話しているのは分かった。すると、不思議なことに、彼が話し終えたあと、女の子たちの沈んでいた表情が次第に明るくなり、目も輝き始めた。まるで、自分の耳を疑っているかのような顔だ。その後、瑛介がスマホを取り出し、女の子の一人がそれを読み取ったように見えた。その瞬間、弥生の眉がきゅっと寄り、唇も無意識に結ばれた。これ、どこかで見たことある光景だ。道端で声をかけられて、連絡先を交換するやつ。一人がコードを出して、もう一人が読み取る。今、瑛介とあの女の子がしているのは、それと同じではないか。さっきまで、瑛介の行動に少し浮かれていた気持ちは、一気に沈んだ